蔵書印と私

蔵書印イメージ

ずっと昔。「日本のミステリー名作選」かなんかというタイトルの文庫本で、そのストーリーの主人公が神田の古本屋街でふと見つけた、なんか見覚えがあってどこか懐かしさを感じた本を主人公がふと手に取り、その本の奥付になんと自分の蔵書印が押されているのを発見したことから、話はスリリングに展開して行く。

この本はいったいどんなルートで、誰の手に渡ってこの古書店にきているのだろうか?と考えを巡らせていくとことから彼はある事件にたどり着く…。
というようなやや中編の作品(わたしの感じとしては)を読んだ記憶がある。

そのタイトルも作者名もまったく覚えてはいないのだが、けっこう面白かったということだけは覚えている。
(※かなりうろ覚えなので、いいかげんです。もしこの作品をご存知の方がわたしが前述した梗概や展開の間違いに気づかれても、不明をなにとぞご容赦いただきたい)

そしてわたしが、この作品を今でもかなり怪しいながら覚えているのは、その作品展開の扉であって重要なカギになっているモチーフの「蔵書印」という単語だ。

この「蔵書印」という言葉は、なにもそのときわたしが初めて遭遇した言葉ではなくて、すでにお馴染みのものだったのだ。

なぜかというと、子どもの頃から本の虫だったわたしは、はや中学生の時には父親の持っている本を真似て、消しゴムを彫刻刀で彫った蔵書印を作り、赤いスタンプ台にポンッとやり、自分の本に押していたほどの、スノッブでおマセな子どもだっのだ。

わたしは版画とかゴム印とかの印鑑を自分で作るのが子どもの頃から大好きで、また上手で学校の先生にもよく誉められレタもので、まぁ蔵書印?と聞いても作れる自信はあったのだ。
そしてできあがったその蔵書印はというと、まずひどいものだった。

まず書体がてんでなってない。
もちろん当時篆書体などというものを知ってるよしもなく、ごく普通の楷書で書いたのだが、これがまた四角い枠の中でスカスカしたものにしかならず、しかも縦棒も横棒も太さがまちまちなひどいしろものとなった。

それでもわたしは得意になって父親に見せた、かれは「ほぉ、イイものを作ったなぁ」とだけは言ってくれた。

わたしは有頂天になって、むやみに自分の本に(20~30冊くらいであったろうか)にその蔵書印なるものを押しまくったものだ。まぁ血は争えないとはまさしくこういうことを指すのであろう。

さて問題の蔵書印のことに触れよう。今では高い人気を誇る(司会者の突然降板事件もあったが)テレビ番組の「○○鑑定団」等で、結構取り上げられることも多いのでご存知の方も多かろうと思う。
そもそも蔵書印とは、その書物の所蔵者を明らかにするために、蔵書に押してある印鑑のことを指すのだそうだ。

何でもこれは落款印(らっかんいん:書や絵画で署名の後に自分の作品であるしるしに押す、印鑑の総称だそうです)でもいいし、「○○蔵書」という、俗にいう「蔵書印」を押して蔵書用専用にしてもいいものなのだとものの本にあった。

いずれにしてもこの蔵書印を、買ってきた本の奥付にビシッと押すと、なぜか自分が偉くなったように思えてくるから不思議なのだ。

しかしその反面、この本を完全に読破し自分の薬篭中のものとした、というふうに自己を欺くことに繋がっていることにも気づかないようになってしまうのだ。
まぁそれだけ読書人を標榜する人の読後セレモニーとしては、完璧なエピローグを演出してくれるのが「蔵書印」だろう。

それが、「本なんか読み捨てにして、邪魔になってきたなら古本買い取り店に行っちゃえばいいんだよ…」という方にとっては、この蔵書印などの印鑑があることで名前のサインとともに逆に相手に買い取り価格を下げられてしまうので、決して押したくは無いのだろうなぁとは推察するのだが…。

そういう方々は、カバーを見るのも本屋で買う前だけ、読む時もカバーはもちろん腰巻きも取らず、読んでいるページを折ることも決してせずに、そ~っと折り目がつかないよう30度程度にしか開けず、さぞや不自由な読書をしているのだろうと、ご同情申し上げる。

ところで、いまやわたしもオリジナルの篆刻で作られた立派な蔵書印を持っている。
これはわたしの姉がわたしの誕生日に(わが家ではまだ兄弟でプレゼントし合っているのだ)くれたもので、宮城県の特産で有名な雄勝石で作ったものらしい。

その時姉が「これを彫るのに腱鞘炎になったんだから、見なよ…」と盛んに、しかも恩着せがましくこぼしていたから、今でも素直に感謝して大事に使っている。

詳しくは分らないが素人考えでは、日本の硯の90%を産しているという雄勝石の篆刻であれば誰に見せても恥ずかしく無いものだと思っているのだが。どうであろう…。

ページの先頭へ