印鑑の思い出

スタンプ印鑑イメージ

子どものころ、夏休みになるとうっとうしいことがたった一つだけあった。
あの頃はクーラーがなくっても街を吹いてくる風は野原を通ってくるとそれなりに涼しかった。

給食が食べられなくっても、大好きな肝油は休みの期間分をまとめて缶入りのものを学校から配られた。
車は無かったから海まではめったに行けなかったけど近くのキレイな川で泳げもしたし、プールだって毎日毎日通ったものだった。

ではそのうっとうしいものとは何だったのか?それは毎朝早くに行われる、地域の子供会のラジオ体操なのであった。
好きな楽しい事だったらば何もそんなに苦痛には感じないのだが、決まった時間に無理矢理起こされて行かねばならないラジオ体操は苦手だったのだ。

まぁ当時は全国民的に行われており、基本中の基本とも言えるラジオ体操第一は必須で、ややマイナーであったラジオ体操第二も学校では体育の時間に練習させられた。
そしてうっとうしく思っていたこの子供会のラジオ体操にも、わたしにはたった一瞬ワクワクする時間があった。

それが上級生のお姉ちゃん(なぜか女性が多かった)が毎日持って行く体操カードに毎朝押してくれた朱色のハンコだった。
同年代の方なら、きっとうなずいてくれる方も多少はいるかと思う。

その6年生のお姉ちゃんのハンコが良かった。
でもそれはハンコそのものではなく、お姉ちゃんの顔やスタイルでもなく、ハンコを押してくれるというその行為そのものに憧れていたのである。

ちょっと子どものくせに変かも知れないが、凛々しくすっくと立って先生のように厳しい顔つきをして、ハンコを押してくれることがとてもカッコイイと感じていたのだ。
だから体操に行かなかった朝寝坊した日には何か損をしたような気になった。

もちろん当時の小学生がハンコなど持っているはずもないし、むろんのことスタンプ要らずの印鑑も無かったのだから、あれは推測するに多分親のどちらかが使っていた家用の三文判だったのだろう。
どんな苗字だったかは残念ながらもう覚えていない。

当時のわたしの心理を分析すれば、いつまでもミソッカスではいたくないという低学年の意識から、リーダーとして活躍できる上級生という立場への憧れが強く、早くああなりたい!という願望の表れだったのではないか…とも思える。
もちろん年上の異性への淡い憧れも多少はあっただろう事は否定しない。

そういえば同じようなものに、プールにその夏どれだけ通ったかを先生がチェックするプールカードなるものもあった。

子どもたちの間では、夏休みが35日あればもらうハンコも35個なければ気が済まないというのがだいたい普通の感覚で、休みが終わって初登校する日には友達とのその数を比べあったものだった。
あの朱色の三文判がずらりと並んだプールカードも今では懐かしい思い出だ。

体操カード、プールカードと続いたが、さらにもうひとつ心に残っている印鑑の思い出として、学校の成績通知表を忘れてはいけないだろう。

通知表の評価はもちろん気にはなったが、それよりも表の裏側にあった、学期ごとの確認印の四角い枠にずらりと押された校長印、担任印そして最後に保護者印と続いた朱肉の色がなぜか気になり、印象に残っているのだ。

その学期の過ごし方がどうだったかを評価する担任と、それに答える親のコメントも今になって思い出すと妙に当たっていたなぁと感心する。親も担任もきちんと見るべきところを見ていたのであった。

なんとなくハンコへのノスタルジーを書いてしまったけれど、今考えるのは、あの懐かしくもほろ苦い思い出のラジオ体操が昭和の終わりとともに次第に消えて行ったのも、塾や習い事をするための結果で仕方が無いのだろうなぁという思いである。

それもよし朝に身体に良い運動なら、昔にはなかったジョギングやウォーキング(散歩とは違うのだ)太極拳だってある、中には笑う会なんてものだってある。
今は本人の自由意志が尊重される時代。

本人さえその気にさえなれば何だってあってできる時代なのだから、まずいろいろとチャレンジするのが先決だろう。
でもハンコを押されたり押したりする快感とか、上級生への憧れとかはそこには無いけどね。

でもこの思い出を読んで分ってくれたかもしれないが、暮らしの中でいろいろ使うハンコを、たかが三文判などとあなどるなかれとわたしは言いたいのだ。
三文判という印鑑から拓かれていく自分の輝ける人生だって必ずあるのだからね。

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